正体のわからないストレス
第1話でも母の毒親っぷりが垣間見えていたと思いますが、うちの親は毒親なんです。
といっても、当時は毒親という概念がなかったので、そのことに気づいたのは、つい最近(私が子どもを産んだ後)の話なんですけどね。
なので、親に問題があるという考え方をしたことがなく、なんだか分からないけど家にいるのが息苦しい感覚だけがずっとありました。
母の過干渉によるストレス
私の母は極度の不安症で、いつも子どものことを心配していました。
なにかというと、「危ないからダメ」と言って、失敗をさせないように先回りしていました。
それは一見、“子どものためを思って”言っている優しい母のように見えます。
でも、本質は違っていたのです。
実は、“子どもが失敗するところを見るのが不安”だから、子どもに失敗させないようにしていたんです。
さらに始末の悪いことに、母は自分の価値観が絶対と思っているので、相手が違う価値観だということを受け入れられません。
なので、私は母の価値観に合うようにずっとコントロールされ続けていました。
ヘアカラーもピアスもネイルも全部「危ないからダメ」だったし、
携帯が普及した時も、「電磁波が危ないからPHSにしろ」と言われたし、
飲み会の帰りはタクシーで帰るよと言ったら「深夜にタクシーに乗ったら山奥に連れて行かれて殺されるからダメ」と言われたし、
もう、病んでるレベルの不安を常に押し付けられていて、逆にこっちが病みそうなくらいストレスでした。。。
父の昭和な価値観によるストレス
父は「家事は女の仕事」「女は家事を完璧にやるべき」と思っていたので、小学生の時からずっと私に料理をやれと言い続けてきました。
しかも、直接私に言うのではなく、母に言うのです。私に料理をやらせない母の育て方が悪いという考えのようです。育児もやはり「女の仕事」という認識だったわけですね。
さらに、母は料理が得意で、それを自慢してくるので、母と料理するのが嫌で嫌でたまりませんでした。
よっぽどストレスだったのか、料理中に倒れてしまったことがあり、さすがにそれ以来あまり強く料理をやれとは言ってこなくなった気がします。
親の夫婦ゲンカによるストレス
うちの両親は、なんで結婚したの?って思うほど価値観が違っていて、しょっちゅう夫婦ゲンカをしていました。
しかも二人とも気が強いので、すごい剣幕なんです。
子供心にすごい恐怖だったので、夫婦ゲンカが始まると、私と弟は自分の部屋に避難していました。
私は、親の怒鳴り声が聞こえてこないように、ヘッドホンをつけてテレビを見てやり過ごしていました。
最近になって、「親の夫婦ゲンカは子どもの心と脳に大きなダメージを与える」という研究結果が出たことを知ったんですが、すごい納得しましたね。
親の決めた学校を受験させられるストレス
私の母と弟は天才(ギフテッド)です。
私は何の努力をしなくても勉強ができる弟と一緒に育ったので、勉強に対する意欲が全くわきませんでした。
それでも、毒親の影響で“我慢する”精神が身についていたので、我慢して勉強していました。
中3になって進路を決める時期になり、私はデザイン科に行きたいと言いました。
唯一興味を持ったのがデザイン科だったんですが、両親はそれを許しませんでした。
と言って反対しましたが、二人とも高学歴なので、「デザイン科なんて偏差値の低い高校に入って欲しくない」という気持ちもあったんじゃないかと思います。
結局、徒歩15分の公立高校の普通科に行くことを強要されました。
市内で2番目の偏差値の進学校だったので、それはそれは壮絶な勉強量でした。
高校もまた我慢して勉強したので、「大学は行きたくない」と言ったのですが、それもまた許されず、大学までも親の決めた学校に行くハメになってしまいました。。。
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