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【上京物語・第7話】共感能力が低く、家族に自分と同じ価値観を求めていた母。

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第3話でも話しましたが、母はギフテッドなので、普通の人と感覚が違うんですよね。

「こう言うと人が嫌な思いをするだろうから言わないでおこう」などと考えることはなく、思ったことをそのままポンっと口に出してしまいます。
それで相手が怒っても、相手の気持ちに共感できないため、「本当のこと言っただけなのになんで怒るの?」と、相手を非難します。。。
 
 
また、「自分はこういう価値観だけど、相手は違うかもしれない」などと考えることもなく、相手が同意するまでずっと説得し続けます。
「相手も自分と同じ価値観であるのが当然だ」と思っているので、「相手が違う価値観」という状況が受け入れられないんですよね。

まあ、家族以外の人にまではいちいち説得したりはしないですが、そのかわり、相手の価値観を影で非難しています。。。

母は“世間と違う”ということを全く気にしないのですが、それは自分の価値観が絶対と思っているからなのだと思います。
なので、私が世間と違うことを気にすると、気にしてはいけないと説得されます。

気になるのに気にすることを禁止されるので、私はいつも心の中で泣きながら我慢していました。
第5話の遠足のお弁当の話もまさにそうです・・・)

自分の意見を母の価値観に合うようにコントロールされた結果、私は自分の心を押し殺しながら逆らわずに生きるという処世術を幼くして身につけてしまったのです。。。
 

ひとりだけ制服じゃないコートを着ていた私

私のはっきりとした記憶があるのは小学校入学以降なのですが、それでも断片的な記憶しかなく、辛い記憶の方が鮮明に残っています。

中でも一番古いのは、小学校1年生の時のエピソードです。

私の通っていた小学校は、公立ですが制服でした。
上京するまではそれが普通だと思っていましたが、こっちではみんなから「公立で制服って珍しいね!」と言われるので、どうも全国的には珍しいようです(^_^;)

子供は風の子だからか(?)、小学校の制服には「コート」がなくて、真冬でも、上から着る服はジャケットのみでした。

母は「こんなに寒いのにコート着なかったら風邪ひくわよ!着て行きなさい!」と言って、手持ちのコートを着させようとしました。

私は「コートは制服じゃないよ!誰も着てる人なんていないよ!恥ずかしいから着たくない!」と必死で訴えたのですが、「みんな着てなくても気にしなくていいのよ!風邪ひいたら困るでしょ!?」と言って、無理やり着さされました。。。

1800人くらいいる全児童の中で、コートを着ていたのは私だけでした。
案の定、いじめっ子の男子に毎日からかわれました。

体はあったかくても、心は寒かったです。。。
 

ひとりだけ車で中学校に登校していた私

私の通っていた中学校は、小学校のちょっと向こうにありました。
小学校も3kmほどあって遠かったですが、中学校も同じでした。

小学校では集団登校でしたが、中学からは個人登校です。
私は、仲良しの友達と一緒に登校するのを楽しみにしていました。

でも、その楽しみは一度も味わうことができませんでした。
 
 
私が中学に入るのと同時に、父の勤務場所が変わりました。
そして、ちょうど通勤ルートの途中に私の中学校があったんです。

「お父さんの車に乗って行って学校で降ろしてもらったらどう?」と母が提案してきました。

冗談じゃないーーっっ!!!∑(゚Д゚) と思った私は、「車で行く人なんか誰もいないよ!小学校も歩いて行ってたんだから歩いて行けるよ!」と訴えました。

しかし母は、「中学校は小学校より遠くなるし荷物も重いでしょ!過労になって溶連菌にかかったら困るでしょ!」と言い返してきました。
※私は疲れがたまると溶連菌感染症にかかることがありました。

小学校より遠いといっても、せいぜい200mくらいだし、小柄な子だって同じ荷物持ってるし、溶連菌にかかったら薬飲めばいいだけの話です。

しかし、そこは努力嫌いのギフテッド母です。
“車で行けば楽なんだから、しんどい思いして歩いて行く必要はない”という価値観なので、何を言おうと全然通じません。

そう、、、最初はいかにも“提案”で、選択肢がありそうに聞こえるのですが、実際は“強制”なんです。
自分の理想通りの答えになるまで説得し続けるんです。。。
 
 
言うまでもないですが、車で学校に来ていたのは私ひとりでした。
“この子なんで車で来てるの?”という視線に、3年間耐え続けました。

体はラクでも、心はしんどかったです。。。
 

ひとりだけPHSを持っていた私

携帯電話が普及して、友達も次々に携帯電話を持ちはじめました。
私も携帯電話欲しいなあと思っていたのですが、これも禁止されました。

「携帯電話は電磁波が強いから、使ってたら脳に障害が出るわよ!PHSなら病院でも使えるくらい電波が弱いからPHSにしなさい!」と言われ、選択肢はPHS一択でした。。。

第4話でも話しましたが、母は目に見えないものに恐怖を感じます。
目に見えない“電磁波”は、母にとってかなりの脅威だったのです。

まわりでPHSを使ってる人なんてひとりもいなかったので、なんでPHS使ってるの?と、会う人ごとに聞かれてました。

なんで使ってるかって、そんなの私が聞きたいです。。。

携帯には対応してるけどPHSには対応していないサービスが多く、イライラしながら使ってましたね…(ー_ーメ)

上京してからもイヤイヤPHSを使ってたんですが、結婚後に壊れて買い替えに行ったんですよ。
そうしたらもうダサいデザインの機種しかなくて、

「親が携帯ダメって言うからPHS買わなきゃいけないんだけど、ダサいのしかなくてツラい…」と夫に嘆いたら、

「もう離れてるんだから、勝手に携帯に替えて事後報告すれば大丈夫だよ!」と励ましてもらえたので、勇気を出して携帯に替えることができました。

誰かに許してもらわないと行動できないアダルトチルドレン・・・毒親の呪縛ってホント恐ろしいです(((( ;゚Д゚)))
 
 
***
 
 
こんな感じで、親の考えた通りに「◯◯すべき」思考で行動してきたので、
自分の人生を生きている感じがしなかったですね。。。
 
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