上京物語

【上京物語・第8話】ギフテッド母が家庭教師。親の敷いたレールを歩まされた学生時代。

私は理数系が苦手だったので、小学校高学年くらいになると、
算数や理科でつまづく部分がでてきました。

私のテストの結果を見た母は、頼んでもないのに家庭教師に名乗りをあげました。
天才である自分ならなんでも教えられると思っていたのでしょう。

「みんな高いお金を払って塾に通わせてお金を無駄遣いしてるけど、
お母さんは自分で教えて塾代を節約してるのよ!」
と常々自慢していました。

残念なことに、母は頭さえ良ければ先生になれると勘違いしていたのです。

先生には、生徒に共感し、生徒のやる気を引き出すことのできるスキルが必要です。
頭が良いだけでは良い先生にはなれないのです。

そう…第7話でも書きましたが、母は共感能力が低いのです…(´Д` )
私は母に教わる時間が苦痛で苦痛で仕方ありませんでした。。。
 

テストの点数さえ良ければいいという価値観

私は単純な計算などは得意だったのですが、複雑な文章問題が特に苦手でした。

母は私が間違えるたびに教え直すのですが、その問題は解けるようになっても、
文章の言い回しが違ったり数字が変わったりするとまた解けなくなります。

さらに、次の日になると、一度解けた問題も解き方を忘れて解けなくなります。
なぜすぐに忘れるかというと、そもそも理解できていないからです。

母は何も努力しなくても最初から理解できているので、その場で考えればわかるのです。
なので、「あんなに何度も教えたのになんで解けないのかねえ!?」と言って呆れます。

私はもう辛くて辛くてやりたくなかったので、嫌そうな顔をして勉強していたら、母は、
「こんなに一生懸命教えてあげてるのに、その嫌そうな態度は何よ!?」
と烈火のごとく怒りだします。

私はそのたびに「ごめんなさい、ごめんなさい」と泣いて謝り、
辛い気持ちを押し殺して、辛くない表情を装って勉強していました。

私は「こんなに頑張っても解けないんだったら、もういいよ」
と言ってあきらめてくれることを期待していたのですが、
母は解けないことを決して許してくれませんでした。

そこで母は“たくさんの問題を分析してパターン化し、丸暗記させる”
という手段を考え出しました。

私は母がパターン化した問題を丸暗記し、頭の中にデータベースを作りました。
問題を解くときはまず頭の中のデータベースを検索し、
同じパターンの問題に当てはめて問題を解きました。

もちろん、理解をして解いているわけではないので、
データベースにないパターンの問題が出てきたら解けません。
そのときはまた新しいパターンとしてデータベースに追加記憶します。

私はまるでロボットになった気分でした。

この方法で、理解していないのにテストの点数を取ることだけはできるようになりました。
母は「お母さんのおかげで問題が解けるようになって良かったね!」と言いました。

しかし、私は偽りの点数を見ても何の感情もわいてきませんでした。
しいていうなら、間違えなければお母さんに教えられなくて済むという
安心感くらいでしょうか。。。

友達からは「真綾ちゃんは頭いいね!」と誤解され、
いくら私は頭悪いんだと言っても信じてもらえませんでした。

私からしたら、テストで問題が解けなくても許される友達の方が
うらやましくてしかたありませんでした。
 

親の決めた高校を受験

中学でも相変わらず母は家庭教師でした。
中学ではさらに英語という苦手教科が増え、ますます辛い日々でした。

母は何の努力もなくネイティブ並みの英語の発音ができるので、
私にも同じようなレベルの発音をさせようと教えこみました。

でも私の発音は完全に日本人レベルの発音でした。
そのたびに「真綾は発音が下手ねえ!」と言われました。

でも、学校でもみんな似たようなレベルです。
ネイティブ並みの発音なんて、よっぽど英語が好きでないと無理です。

それなのに下手だ下手だと言われるので、私は英語をしゃべるのが嫌になりました。
 
 
そんな勉強を続けてきたので、私は勉強が嫌で嫌でたまらなかったのですが、
記憶力だけは良かったので、相変わらず偽りの点数を取り続けていました。

中3で進路を決める時期になり、私はデザイン科に行きたいと言いました。
私が唯一興味を持ったのがデザイン科だったのですが、両親からは反対されました。

昭和な価値観で真面目な父は、普通科しか認めませんでした。
“デザイン科に行ったらデザイン以外の仕事につきたくなった場合につけない、
普通科に行っておけばどんな仕事にもつける”というのが理由でした。
まあ、要するに“とりあえず普通科に行っとけば無難”ってことです。

一方、努力嫌いの母からは「デザイン科のある高校は遠いから通うの無理でしょ!
過労になって溶連菌になるからダメよ!」と言われました。
(溶連菌については第7話を読んでください・・・)

私は頑張って通ってみたい!と思っていたのですが、
両親の価値観に合わないデザイン科は、チャレンジすることも許されませんでした。

代わりに両親に提案(という名の強要)されたのは、
家から徒歩15分のところにある公立高校の普通科です。

「私立はヤンキーが多いからダメ!公立にしなさい!」
というのが公立をすすめる理由でした。

私の仲良しの友達は半数くらい私立に行きましたが、みんないたって普通の子です。
マジで偏見もいいとこです…ヽ(`Д´#)ノ
(そもそも私の中学はヤンキーいっぱいいましたが、
ヤンキーはヤンキー同士でつるむので、特に絡まれることもありませんでした。)

そして、徒歩15分のところにある高校をすすめたのはもちろん母です。
私の住んでた市内には公立高校が5校あり、その中の1校だけが徒歩圏にありました。
母は「雨の日に自転車で通うのしんどいでしょ!徒歩で通えるA高がいいわよ!」
と言って、私に有無を言わさず決定してしまいました。

そのA高は、よりにもよって5校の中で偏差値2位の高校でした。
「ただでさえ勉強嫌いなのに、そんな進学校に行くなんて!
進学校って勉強したい人が行くところでしょ!?」と思って気が遠くなりました。

しかし、A高を受ける以外に、私がこの家で生きて行くすべはないのです・・・

私はイヤイヤA高を受験しました。
いつもの“丸暗記法”で、理数系もなんとかクリアして受かってしまいました。

行きたくもない高校に合格した私は、
合格発表で大喜びしている子たちをうらやましく眺めていました。。。
 

進学校の学習量はハンパなかった・・・

進学校の学習量は、想像以上に壮絶でした。

まず、予習は必須。
習ってもないところを自分で勉強して問題を解いておかないといけないのです。

もちろん、理数はちんぷんかんぷんです。
英語も単語が難しくて、読むだけでヘトヘトです。
ゆえに、高校に入っても母は家庭教師でした。

予習とは別に宿題も出されるので、毎日夜遅くまで勉強してました。
眠くて、机につっぷして寝ていたこともよくありました。
朝は目覚ましが鳴っても起きられず、いつも母に起こされていました。
 
 
夏休みがまたすごくて、
最初の10日と最後の10日は“補習”という名の授業をやってました。
部活でもないのに夏休みに学校通うとか、もう意味がわかりません(´Д` )

なので、純粋な夏休みは20日ほどしかありませんでした。

それなのに、夏休みの宿題はしっかりあります。
国・数・英は各問題集2冊ずつ(計6冊!)と、読書感想文と、
他にも自由研究的なものもあった気がします。
(問題集6冊が強烈すぎて他の記憶があまりない・・・)

しかもその宿題の提出日は後期の補習の最初の日なので8/20でした。。。
前期の補習期間は予習で忙しくてあまり宿題がすすまないので、
実質、20日間の休みの間に宿題をやっていました。
 
 
勉強したいと思って入った子には当たり前の量なのかもしれませんが、
イヤイヤ入った私には信じられない勉強量でした。

当時は、“やらねばならない”というアダルトチルドレン的思考で
必死に勉強してましたが、今考えると相当なストレスだったと思います。

そのストレスからか、私はゲームにのめりこんでいきました。
マンガやアニメも好きでしたが、高校では特にゲームにはまりましたね。
私はサウンドノベル系やシミュレーション系のゲームが好きでした。

同人活動にハマったのも高校の時です。
イラストやマンガのサークルを作って会報を発行してました。

私はやっぱりデザインに興味があったみたいで、
絵を描くよりも、会報の紙面レイアウトやページ構成を考える方が好きでした。
(絵はいくら練習しても上手くならないので、才能ないなあと思ってました。)
 
 
高2からは文系と理系に分かれたので、理数も文系向けで難易度が低くなり、
ようやく母の家庭教師は不要になりました。

高3になって、またまた進路を決める時がきました。
友達はみんな自分で行きたい大学を考えて決めていました。
(そのうちの半数くらいは県外の大学を志望していました。)

でも、私はデザイン科に行きたかったところを無理やりA高に入らされたので、
進むべき道が真っ白で見えませんでした。

ただひとつだけ思ったのは、
“もうこれ以上勉強したくないから、大学には行きたくない!”ということでした。

私は決死の覚悟で両親に言いました。「大学に行きたくない!」と。

でも、私の望む答えは返ってこず、、、

父「高卒じゃ安い給料しかもらえないから生きていけないぞ!大学に行きなさい!」
母「大学行かないでどうやってお金稼ぐの? 真綾ちゃんにできるわけないでしょ!?」

・・・絶望的なくらい想像通りの答えが返ってきました。。。

そして、大学までも両親から提案(という名の強制)されました。
「私立は学費が高いから、国立がいいわよ!」と。

またもや自分の決めた道に進むことができず、私は自分の無力さにうちひしがれました。

こうして国立のB大の文学科を受験したわけですが、
ここでも丸暗記法の数学で点数をかせぎ、受かってしまいました。
(丸暗記法は私は嫌いでしたが、とりあえず受験で点数をかせげさえすればいいと
思っている方にはおすすめの勉強法です(爆))

合格発表の日、、、クラスメイトの子が落ちて泣いているのを見てしまいました。
私は心の中でその子に「私なんかが受かってごめんね、ごめんね」と叫びながら、
悲痛な気持ちで会場を後にしました。。。
 


 
 
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