こんにちは、まあやです。
私は会社員時代、
サービス残業が月120時間を超える
ブラックデザイン会社で働いていました。
完全に「根性論」の世界ですよね・・・
でも現在は、
自宅のパソコンで
マイペースに仕事をしています。
締め切りもないし、
通勤もしなくていいので、
子育てしながらでも無理なく
仕事をすることができています。
子供の頃からずっと
根性論で生きてきた私でしたが、
すっかり根性ナシな生活を
送っています。
会社員時代の私にしてみれば、
想像もできなかった未来だと思います。
いったい、どうすれば
そのような生き方にシフトできるのか?
ということを、
このブログを通して
学んでいただければと思います。
このブログのコンセプトは、
「頑張らなくていい人生にするために頑張る」
ということです。
「え?日本語おかしくない?」
って思いますよね。
詳しく説明していきます。
私は、「頑張る」には
2種類の性質があると考えています。
「ネガティブな頑張り」と、
「ポジティブな頑張り」です。
ネガティブな頑張りというのは、
●満員電車で押しつぶされそうに
なりながら出勤する
●残業代ももらえないのに
徹夜で仕事をする
●上司の理不尽な要求に
Yesと答えながら仕事をこなす
といった、
「根性」「忍耐」「不毛」の頑張りです。
やりたくないことを我慢してやるので、
超ストレスがたまります。
一方、ポジティブな頑張りというのは、
●自分の夢を叶えるために勉強する
●もっと上手くなりたいと思って練習する
●お客さんに喜んでもらいたい
と思って商品を作る
といった、
「夢」「報酬」「やりがい」の頑張りです。
自分が心からやりたいと思ってやるので、
ストレスがたまりません。
つまり、
「頑張らなくていい人生にするために頑張る」
とは、
ネガティブに頑張らなくていい
人生にするために、
ポジティブに頑張る。
ということです。
私は、ブラック会社で
心身ともにボロボロになった経験から、
「どうやったら、
ネガティブに頑張らずに働けるだろうか?」
ということをひたすら考えながら
試行錯誤してきました。
そして最終的に、
ビジネスの知識を学んだ
(ポジティブに頑張った)ことで、
インターネットから
自動で収入を得ることができる
(ネガティブに頑張らなくていい)
状態になりました。
さらに現在は、
収益を増やすために、
学びながらシステムを強化している
(ポジティブに頑張っている)
ところです。
というか、もはや
頑張っているという意識すらなく、
学べば学ぶほど
人生が豊かになっていく
ということが分かったので、
もっともっと学びたい!
という意欲であふれています。
ほとんど「趣味化」してますね。笑
今は何でもオンラインで学べるので、
学びやすい時代になったなあと思います。
そもそも人って、
自分が心からやりたいと思ったことなら、
自然と頑張れるんですよね。
たとえば、将棋の藤井聡太さんは、
将棋の分析のためにわざわざ
パソコンを自作しているそうですが、
ご本人にしてみれば、
頑張っているという意識は
ないと思います。
つまり、その逆で、
自分がやりたくないと思っていること
ばかりやらされている
多くのサラリーマンたちは、
人間の自然の摂理に反することを
やらされているわけです。
そりゃあ、
身も心もズタボロになって
当然ですよね。。。
だからこそ、
筋金入りの根性論で生きてきた私が、
今こうして
楽しくやりがいを感じる働き方が
できるようになった方法を
伝えることで、
不毛な努力を強いられている
日本のサラリーマンたちに対して、
生き方を変えるヒントを与えられる
のではないかと思って、
このブログを書いています。
そして、
どうすれば根性論を捨てられるのか?
と追求したところで、
「頑張らなくていい人生にするために頑張る」
という答えにたどり着いたわけです。
このブログでは、
私みたいに根性論で生きてきた人間が、
頑張らなくていい人生にするために
どうやって頑張ってきたのか?
ということについて書いています。
「社会人なら、
嫌なことも我慢して、
汗水たらして働くべき」
という日本社会の常識とは
全然違うと思います。
ぜひ、興味のある記事から
どんどん読んでみてください。
そして、
私がこのような発信をする上で、
私がどれだけ根性論で生きてきたか
という過去を共有しておくと、
ブログの内容も
より理解しやすくなると思います。
なので、ここで少し、
私の過去の物語を
共有していきたいと思います。
目次
【小・中学生時代】根性論は環境が原因?
私は、田んぼの点在する、
自然豊かな田舎で生まれ育ちました。
そう聞くと、都会育ちの方は、
「田舎暮らしってのんびりしてそう」
というイメージを抱くかもしれませんが、
とんでもないです。
めっちゃ根性論の世界です。
私の住んでたところは、
電車もバスもほとんど通っておらず、
車を運転できない子供の移動手段は、
徒歩と自転車のみでした。
おかげで、超運動オンチだった私でも、
自転車だけはものすごい速さで上達しました。
そして、田舎はとにかく学校が遠い。
私の通っていた小・中学校も、
家から3kmほどの距離がありましたが、
もちろん根性の徒歩通学です。
登校班の集合時間は
7時ごろだったと思います。
小学生の足だと、
1時間くらいかかってましたね。
往復で2時間です。
習字道具を持って行く日とかもう、
途中で「習字道具捨てたい」って
思いながら歩いてました。
遠足がまた根性論の極みで。
「遠足という字は、
“遠いところに足で歩いていく”
と書くんだ!」
という都合のいい思想を
先生から叩き込まれ、
どんなに遠いところでも
すべて歩いて行っていました。
唯一、
目的地まで13kmあった時の遠足だけ、
帰りは電車に乗せてもらえました。
(駅まで3km歩きましたが・・・)
あと、これは昭和特有の
根性論かもしれませんが、
居残り給食。
これまた、
「給食を残すなんて、
農家の人や給食のおばさんに失礼だ!」
という罪悪感押し付けの思想を
先生から叩き込まれ。
どんなに時間がかかっても、
完食するまで居残り。
私は好き嫌いが多くて、
中でも特に牛肉と豚肉が嫌いなんですが、
メイン食材なので、
かなりの頻度で登場するんですよね。
だから私は、居残り給食の常連でした。
吐きそうになりながらも、
無理やり牛乳と一緒に
肉を胃に流し込むという・・・
(すっかりトラウマ・・・)
ひどい時は、昼休みも終わって、
みんなが掃除をやり始めても
まだ食べてました・・・
もはや、
将来上司のパワハラに
耐えるための訓練をやっていた
としか思えないですね。
そんな感じで、
私の根性論の基盤は、
小・中学校に形成されました。
【高校・大学時代】毒親の敷いたレールを根性論で歩む。
次は、高校の話。
私はデザイン科に行きたかったんですが、
「普通科が正義」という
親の価値観に合わずに却下され、
親の決めた高校に行かされました。
生まれつきの天才の弟と違い、
凡人で勉強嫌いの私が、
市内で2番目の偏差値の進学校に
根性で勉強して入学。
でも、
進学校のレベルがどんなものかも知らず、
親に強制されて入った私は、
厳しい現実に直面します。
「進学校、
めっちゃスパルタやん・・・泣」
分不相応な学校に無理して入った私は、
根性で付いていくしかありませんでした。
毎日、夜中までかかって、
次の日の予習と宿題をこなす日々。
机に突っ伏して居眠りし、
目が覚めたら窓の外が
うっすら明るくなっていた、
なんてこともありました。
今思うと、
ブラック会社で
徹夜仕事に耐えるための根性を、
この高校時代に培ったような気がします。
ちなみに高校では、
根性の証でもある
「皆勤賞」ももらいました。
(ちっとも自慢できない賞・・・)
「これだけ親の要望に
応えたんだから、
もう十分よね」
と思った私は、
「大学には行きたくない」
と親に言ったんですが、
それもまた、
「高卒じゃ生きていけない」
という親の価値観に合わず却下され、
またしても親の決めた大学に
行かされることに。。。
取り立てて受験勉強らしきことは
してなかったのですが、
スパルタ進学校から与えられた
鬼の課題をこなしていたおかげで、
普通に受かってしまいました。
大学生って
遊んでるイメージがありましたが、
そんなことはなくて、
高校ほどではありませんでしたが、
大学に入ってからも
やっぱり勉強は大変でした。
田舎の大学で
全国的にはレベルが低いとはいえ、
一応国立だったので、
簡単には単位は取れません。
講義の予習も必須だったので、
空き時間はだいたい
資料室や図書室で調べ物してました。
そして、文章力皆無だった私には、
最後に「卒論」という難関が
待ち受けていました。
今でこそ、
これだけ文章を書けるようになりましたが、
当時は壊滅的に文章が書けなかったんです。
書いても書いても
なかなかページが進まなくて・・・
本当に、持ち前の根性論だけで
書き上げたという感じです。
グラフィックデザイナーを目指して上京。
そんなこんなで、
やっとの思いで大学を卒業した私は、
いきなり「無職」で社会人をスタート
させることになってしまいました。
私はデザイン科に行きたいと思っていたのに、
自分の興味とは無関係の学校に
行かされたわけです。
当然と言えば当然ですが、
大学に来る求人に
興味がわくわけもありません。
親は
「大学に行きさえすれば就職できて安泰」
と思っていたようですが、
目的もなく大学に行って就職できるほど、
人生は甘くありません。
どうしてもデザインの仕事にしか
興味の湧かなかった私は、
ハローワークで求人を探してみました。
しかし、田舎には
デザイン関係の求人など皆無に近く、
やっと見つけたと思っても、
「デザイン・美術系の学校卒業者、
または、経験3年以上の者に限る」
という応募条件が必ず記されていました。
経験を積むには
デザイン会社に入らないといけない。
でも、デザイン会社に入るには
デザイン系の学校を
卒業していなければいけない。
・・・残酷な現実を突き付けられました。
「デザイン科に行かせてもらえていれば
応募できたのに・・・」
私は、求人票を見るたびに
ため息をついていました。
そんな毎日を送っていたところ、
上京した友人からデザイン会社で
働いているという話を聞きました。
「どうやってデザイン会社に入ったの?」
と聞いたら、
「デザインスクールに通って
デザインソフトの勉強をした」
とのこと。
でも、田舎には
そんなスクールがなかったので、
私は本を買ってきて
独学でデザインソフトの勉強をすることに。
それまでは、
やりたくないことばかり頑張ってきた
(ネガティブに頑張ってきた)
人生でしたが、
そこで初めて、
自分が心からやりたいと思ったことを頑張る
(ポジティブに頑張る)
機会が訪れました。
学校の勉強は苦痛でしかなかったのに、
デザインソフトの勉強は、
笑えるくらいはかどりました。
勉強したおかげで、
とりあえず職につくことはできました。
ただ、田舎なので
デザイン会社の求人も見つからず・・・
飲食店のメニューなどの
簡易的なデザインの仕事しか
できませんでした。
そこで私は、
スキルアップと自立を目指して、
上京することを決意しました。
早速インターネットで
求人を検索してみましたが、
さすがは東京です。
デザイン会社は山のようにありました。
私みたいに
独学で浅い経験しかなくても
面接してもらうことができ、
無事に採用が決まりました。
でも、その時の私は
知る由もありませんでした。
その会社が、
超絶ブラック会社だと
いうことを。。。
ブラック会社で根性論の限界を知る。
東京に引っ越してきて3日ほど経って、
初出社の日が来ました。
社員数10人以下の
こじんまりした会社で、
同僚はみんな気さくな人たち
ばかりだったので、
すぐに打ち解けることができました。
隣の席の男の子も
田舎から上京してきた子だったので、
田舎あるある話で
盛り上がったりもしました。笑
やはり、
デザイン系の学校出身の
人たちがほとんどで、
独学の私はちょっと
引け目を感じてしまいましたが、
今まではわからないことがあっても
質問できる人がいなかったので、
「質問できる環境で働けるって、
なんてありがたいんだろう・・・」
としみじみ思いました。
仕事内容も
今までと違って専門的で、
知らないこともたくさんあり、
毎日が学びでした。
人間関係も良好で、
仕事もやりがいがあったのですが・・・
ただひとつ問題が。
とにかく時間外労働が
ハンパないんです。
(しかも全部サービス)
基本、23時以降まで
残業するのが当たり前。
終電で帰ることもしょっちゅうでした。
終電で帰る時は、
0時半ごろに会社を出て、
家に着くのは1時20分ごろ。
そこからお風呂を沸かして入るので、
寝る頃には2時半を過ぎていました。
何時に帰っても
出社時間は9時半なので、
7時半には起きないといけません。
そうすると、
睡眠時間は約5時間。
「自分の時間どころか、
睡眠時間すらまともに取れない・・・」
私は、
何をしに家に帰って来ているのか、
段々と疑問に思うようになりました。
デザイン業界はとにかく
締め切りが絶対なので、
締め切り前は
徹夜や休日出勤もザラでした。
1日くらいならなんとか
頑張って徹夜できても、
何日も続くと、
PC画面に向かいながら
意識が飛ぶことも。。。
「締め切りまであと3時間しかない!」
「寝たら間に合わない!」
と頭ではわかっているものの、
体がついていかないんです。
(ちなみに、最高で
4日連続徹夜しました)
そして、仕事を依頼してくる
広告代理店もブラックなので、
時間構わず電話が
かかってくるんですよね。
「今日は23時に帰れそうだな」
と思っていても、
22時ごろになって、
「今メールで送った原稿、
すぐデザイン作って!よろしく!」
って電話がかかってきたり
するんです。泣
徹夜で仕事してる時、
夜中の2時ごろに
打ち合わせに呼び出された
こともありました。
そんな生活を
何年も続けているうちに、
だんだん体のあちこちに
不調が出てきました。
ドライアイになって、
コンタクトレンズで目に傷ができ・・・
ショートカットキーの使いすぎで
親指が腱鞘炎になり・・・
耳の穴に謎のウミがたまり・・・
ストレスで口の周りとまぶたに
蕁麻疹ができ・・・
肌がガサガサになり・・・
咳喘息で咳が何日も続き・・・
眼科、整形外科、
耳鼻咽喉科、皮膚科を
ローテーションで通院する日々。
「医療費を払うためにお金を稼いでる
わけじゃないのに・・・涙」
在職中に結婚して、
その後も1年くらい働いたんですが、
ある事件をきっかけに、
「もう、無理だ・・・」
と、心の糸がプツッと切れて、
とうとう会社を
退職することになりました。
選択肢がないなら自分で作る。
根性論で生きてきた私は、
好きなことならいくらでも
頑張れると思っていました。
でも、
好きなことを仕事にしたはずなのに、
毎日が辛いと言う矛盾。。。
「好きな仕事なら
残業代なんてもらわなくても、
喜んで残業すべき」
「お客さんのためなら、
休日返上で仕上げるべき」
という根性論を
社長から叩き込まれて
仕事をしてきたけど、
冷静に考えてみると、
論点が明らかにずれている
と思った。
そもそも、
好きなことを頑張るということと、
残業を頑張るということには、
何の因果関係もないし、
お客さんのために頑張るということと、
休日返上で頑張るということにも、
何の因果関係もない。
それらは、
まったく違う性質の頑張り
だからです。
好きなことを頑張るということや、
お客さんのために頑張るということは、
ポジティブな頑張りです。
でも、
残業頑張るということや、
休日返上で頑張るということは、
ネガティブな頑張りです。
このまったく違う性質の頑張りを
無理矢理結びつけようとするから
矛盾が生まれるし、
ネガティブな頑張りの割合が
ポジティブな頑張りの割合を
圧倒的に上回ってしまうから、
ストレスになるわけです。
わかりやすい例が、保育士。
保育士が足りない足りないと
言われているけど、
保育士免許を持っている
120万人のうちの80万人は、
保育士として働いていません。
何故かと言うと、
給料が安すぎて生きていけない
からです。
保育士になりたいという人は、
赤ちゃんや小さい子供が好きな人です。
そこに付け込んで、
「好きなことなんだから、
安月給でも喜んで働くべき」
という
根性論で働かせようとするから、
保育士が足りなくなるのです。
好きなことを頑張ると言うことと、
安月給で頑張るということは、
まったく別のことです。
すごく簡単で楽な仕事なら、
安月給だって問題ないと思います。
でも、
保育士の仕事はハードだし、
子供の命を預かるという
重責を伴う仕事です。
それに見合った
給料が支払われなければ、
頑張ることなんてできません。
世の中のほとんどの人が、
会社側の審査に合格しないと
働くことができないのは、
それしか収入を得る方法を
知らないからです。
自分の力でお金を生み出す
方法を知らないので、
会社に雇ってもらうことしか
生きていく術がないのです。
言ってみれば、
会社に足元を見られている
というわけです。
だから、逆を言えば、
自分の力でお金を生み出す方法を
身に付けさえすれば、
会社に依存する必要は
なくなるのです。
そもそも、なぜ
自分の力でお金を生み出す方法を
知らないのかというと、
学校で教えないからです。
国は、国民に
「何も考えずに会社で働く」
という道を選択してもらうために、
意図的にお金の教育を
しないようにしています。
「自らの選択で
サラリーマンになるのはいいけど、
国がそれしか選択肢を与えない
というのはフェアじゃない!」
と、
国にコントロールされて生きていくことに
疑問を持った私は、
自分でビジネスの勉強をしました。
国が教えてくれないなら、
自分で勉強するまでです。
そうして勉強して、
自分のビジネスに取り組んだ結果、
インターネットから25万円以上もの
収益を上げることに成功。
ただ会社から与えられた仕事を
こなして得たお金よりも、
自分で一からビジネスの仕組みを
作って得たお金の方が、
はるかに重みや達成感を感じられました。
実際にビジネスを学んで
実践してみて思ったのは、
「これ、
受験戦争や就活戦争を
くぐり抜けるほどの
ポテンシャルのある
サラリーマンだったら、
誰でもできるんじゃないの?」
ということです。
しかも、
理不尽な会社勤めに
耐え抜く根性のある
サラリーマンだったら、
なおさらのことです。
今、会社でネガティブに頑張っている
そのパワーの矛先を変えて、
自分自身のために
ポジティブに発揮すればよいのですから。
改めて、コンセプトおさらい。
いかがでしたか?
私のブログでは、
「頑張らなくていい人生にするために頑張る」
というコンセプトを元にして
読んでいただけると、
読みやすいかと思います。
私は、
頑張らなくていい人生にするために、
●自分の力でお金を生み出すための
ビジネス知識
●ポジティブに頑張って
人生を充実させる方法
●他人にコントロールされない
思考力の磨き方
●心身ともに健康に過ごすコツ
などを発信しているのですが、
私の発信をきっかけに、
一緒に学び始めてくださる方も
少しずつ増えてきました。
「まあやさんの行動を見てると、
自分にもできるかも!と思えてきます」
「まあやさんの説明は、
初心者でもすごく分かりやすいです!」
といったお声もいただいています。
読者さんから直に
反応をいただけるのも
嬉しいですし、
私の発信が
誰かの生き方を変える
きっかけになっていることが
何よりも嬉しいです。
私は、
これからの時代は、
オンライン上につながりを持つことが
重要になってくると考えています。
現実世界で
自分が行動できる範囲は狭いので、
どうしても狭い価値観に
縛られてしまいます。
自分の生き方を良い方向に変えるには、
まず、新しい価値観を取り入れる
必要があります。
私自身、
仲間と意見を出し合う事で
新しい発見や学びが得られる
ということに気づきました。
私のブログを読んで、
「根性論で生きるのはもう辞めたい」
「ポジティブに頑張る人生って魅力的だな」
と思ってもらえたなら、
私の学んできた知識や経験も
惜しみなくシェアしますので、
ぜひ一緒に学んでみましょう。
そうすることできっと、
一つしかなかった道が
いくつにも分かれて、
より自分の求める未来を
選択できるようになるはずです。
ここまでお読みいただき、
ありがとうございました(^^)
よかったら、こちらもあわせて読んでみてください。
→夢だったデザインの仕事を辞めた理由。〜私のブラック会社退職経験談〜
→【私の失敗談】ブラックな働き方を改革しようとして迷走しまくっていた時の話。
どんなに頑張っても健康になれない理由とは?
健康オタク歴6年の私が、
健康を保つために特に重要だと思っていることは、
●十分な睡眠
●自分の身体に合った食習慣
●適度な運動
●ストレスマネジメント
の4つです。
・・・ですが、
こういった生活習慣が健康に対して効果を発揮するためには、
まず、身体の土台ができている必要があります。
ちょっと想像してみてください。
どんなに素敵な家を建てようとしても、
土台ができていなかったら、
どんなに頑張っても素敵な家は建てられないですよね?
それと同じで、
どんなに健康的な生活習慣を心がけたとしても、
身体の土台ができていなかったら、
どんなに頑張っても健康にはなれないのです。
私はそれが原因で、長年解決できない健康上の悩みがあったのですが、
身体の土台を整えることで、やっと悩みを解消することができました。
そんな経験もあって、
「このブログにたどり着いてくださったあなたにはそんな遠まわりをしてほしくない!」
と思い、
私がどうやって悩みを解消するに至ったのかを、次のページにまとめました。
あなたがもし、どんなに頑張っても解消できない悩みを抱えているのだとしたら、
私の経験が参考になるかもしれません。
次のページから読んでみてくださいね。
↓↓↓
『健康オタク歴6年の私が1か月目に知りたかったこと。』