ストーリー

夢だったデザインの仕事を辞めた理由。〜私のブラック会社退職経験談〜

私のブラック会社退職経験談 会社を辞める勇気

こんにちは、まあやです。

 
私は以前、都内のデザイン会社で
グラフィックデザイナーとして
働いていましたが、
4年8ヶ月で退職しました。

現在は、子育てをしながら、
インターネットビジネスで
収入を得ています。

 
上京までして就職した
憧れのデザイン会社を、
なぜ辞めるに至ったのか。

そのいきさつと、現在の働き方について、
ストーリー形式で書いてみたいと思います。

 
夢だった仕事に就いたのに
辞めたいと思っている方、
ブラック企業を辞めたいと思っている方の
参考になれば嬉しいです。

 

私がデザインに興味を持ったきっかけ。

私は子供の頃から
「ものづくり」が好きでしたが、
絵を描くのは得意ではありませんでした。

 
デザイナーというと「絵が得意」という
イメージを持たれがちなのですが、

実際のところ、
「絵を描く技術」と「デザインをする技術」は
別のものなんですよね。

「絵を描く技術」と「漫画を描く技術」が
別物であるのと同じようなものです。

 
写生大会とかホントに嫌いで・・・

上手な子の絵を横目で見ながら、

「なんで立体物を平面に表現できるの!?」

と、いつも疑問に思っていました。
(というか、今でも思っています。)

 
でも、小学校の図工の授業で、
いつもとはちょっと違う絵を描く
機会があったんですよね。

どういうものかというと、
図柄をひとつ選んで、
それを画用紙にバランスよく配置して
パターン画を作るというものでした。

つまり、「デザイン」です。

 
そこにはデッサン力は
まったく必要なくって。

必要なのは、
バランス感覚と配色センスだけでした。

 
普段、絵ではまったく
褒められたことのなかった私でしたが、

その時だけは唯一、
先生からもお友達からも

「すごい上手!」
「キレイ!」

って褒められて、
すごく嬉しかったのを覚えています。

 
ただ、その時はデザインのことが
よくわかってなかったので、

「なんで今回だけ褒められたんだろう?」

と不思議に思っていました。

 
 
それきりデザインのことは
忘れていたのですが、
再びデザインのことを
意識する機会が訪れました。

高校受験の時のことです。

 
志望校を決めるために
県内の高校のリストを見ていた私は、
「デザイン科」という学科があることに
気づきました。

「デザイン科なんてあるんだ。
面白そう!!」

 
勉強嫌いだった私は、正直、
「高校なんて行きたくないな・・・」
と思っていたんですが、

ここなら楽しく通えそうと思って、

「デザイン科に行きたい」

と親に言いました。

 
でも、親は猛反対。

 
普通の高校に行って、
普通の大学に行って、
普通の会社に就職して、
普通に結婚して、
普通に子供を産んで、
普通に専業主婦として生きる。

というのが
「幸せな娘の未来」だった親にとって、
デザイン科なんてのは論外でした。

 
自分の価値観が
絶対だと思い込んでいる親を
説得することは至難の技で・・・

結局、私は
親の決めた高校と大学に通いました。

 

立ちはだかる「田舎」の壁。

でも、
目的もなく行った大学に来る求人なんて
興味も持てなくて。

私の社会人生活は
いきなり無職からのスタートに
なってしまいました。

 
「やっぱりデザインやってみたいな・・・」

と未練を抱えていた私は、
ハローワークに行って
デザイナーの求人を検索してみました。

 
でも、
田舎にデザインの求人なんてものは
ほとんどなくて。

やっと見つけた!と思っても、

「デザイン・美術系の学校卒業者、
または経験3年以上」

というのが、
どこの会社も応募の絶対条件。

 
「デザイン科に行かせてもらえてたら
応募できたのに・・・」

 
私は求人票を見ながら
ため息ばかりついていました。

 
 
そんな日々を送っていたとき、
上京した友人から、

「デザイン会社で働いている」

という近況報告が届きました。

 
「どうやって就職したの?」

と友人に聞いてみたら、

「デザインスクールに通って、
デザインソフトの勉強をしたのよー」

とのこと。

 
田舎にデザインスクール
なんてものはなかったので、
私は本屋さんで
デザインソフトの本を買ってきて、
自宅のMacで独学で勉強しました。

そのおかげで、
飲食店やホテルなどで、
ちょっとしたデザインの仕事は
できるようになりました。

 
 
ただ、田舎という壁は大きくて・・・
「デザイン会社」というものが
ほとんどないんですよね。

だから、いくら転職しても、
アマチュアレベルの仕事しか
できなかったんです。

 
「やっぱりデザインやるなら
東京に行くしかない!」

 
と思った私は、
東京の友人たちに
一週間ほど泊まらせてもらって、
デザイン会社の面接を
3〜4社ほど受けました。

 
「ダメかもしれないけど、
やるだけやってみよう!」

 
と、玉砕覚悟で面接に臨み、
なんとか無事に1社だけ
採用していただくことができました。

 
 
こうして私は、
夢だったデザイン会社に
就職することができました。

 

憧れのデザイン会社へ就職。定時は23時。

初出社の日。

ドキドキしながら、
ビルのエレベーターに乗りました。

 
「おはようございます。
今日から働かせていただくことになりました、
まあやです。よろしくお願いします!」

と、エレベーターを降りてあいさつした私は、
目の前の床に何か転がっているのに気づきました。

 
(ええー! 誰か寝てるー!?)

 
転がっていたのはなんと、
寝袋に包まった男性社員。

 
ぎょっとした表情で見ていた私に、

「あー、Mさん、
ここ3日くらい泊まりなんですよー。
びっくりさせてすみません。」

と言って、
若い男性社員が声をかけてきました。

 
「Tさんチームって徹夜多いんですよねー。

あ、まあやさんは社長チームなので、
そこまで徹夜多くないですからね。

僕、社長チームのSです。
よろしくお願いします。」

「あ、よろしくお願いします。」

 
社員10人以下の小さな会社でしたが、
どうやら2つのチームに分かれて
仕事をしているようでした。

私を含めて4人が新しく採用され、
女子2人は社長チーム、
男子2人はTさんチームに
配属になりました。

 
私が最初に担当した仕事は、
某銀行の会社案内で、
私と入れ替わりで辞める人が
担当していた仕事の引き継ぎでした。

Sさん「今日は20冊製本なので、
チーム総出でやりましょう」

まあや「製本??」

Sさん「ただプリントしただけだと、
お客さんが実際のイメージがつかめないので、
まわりを切り落としてスプレー糊で貼り合わせて、
本の形にして見せるんですよー。」

まあや「え・・・20ページの会社案内を
20冊もですか!?」

Sさん「そうなんですよー。
チェックする役員さんの数だけ
欲しいって言われてて・・・」

まあや「マジっすか・・・」

Sさん「マジっす・・・」

 
そんな感じで、
入社初日から仕事が
たっぷり用意されていて、
製本が終わった頃には
23時を過ぎていました。

Sさん「まあ、普通の日はこんな感じで、
23時くらいまで仕事して
帰るって感じですねー。

忙しい時期は
終電とか徹夜になりますけど。」

(定時が23時なんだ・・・)

 
その日は23時半ごろ
タイムカードを押して帰ったんですが、

お風呂入ったり寝る支度したりするだけで、
布団に入る頃にはもう夜中の2時。

 
「7時起きだから、
睡眠時間5時間かあ・・・
起きれるかなあ・・・」

 
不安に思った私は、
目覚まし時計と携帯の
2つのアラームをセットして、
一瞬で眠りに落ちました。

 

月のサービス残業120時間以上。次々に辞めていく同僚たち。

デザイン会社での仕事は、
田舎にいた頃にやっていた仕事とは
比べ物にならないくらいレベルが高くて、

やればやるほどどんどんスキルが
向上していきました。

 
「やっと自分の求めていた仕事が
できるようになって嬉しい〜」

と、最初は思っていました。

 
でも、数ヶ月経つと、
やりがいを感じる反面、
だんだんと疲れを感じるように
なってきました。

 
忙しくない日でも
23時以降までは残業するので、

単純計算で
1日5.5時間×22日とすると、
月の残業時間は
最低でも120時間。

実際は忙しい日も
たびたび入ってくるので、
平均して月150時間前後は
残業していたと思います。

しかも、それで残業代が
入ってくるならまだしも、
全部サービスなので、
精神的疲労も大きい。

 
そんな毎日が続く中、
1人、1人と辞めていき・・・

私が入社して1年経った頃には、
同期で入社した他の3人は
みんないなくなっていました。

さらに、1年ほど経った頃、
Sさんも社長と折り合いが合わずに退職。

 
辞めていく同僚たちを見送るたびに、
寂しさを感じながらも、

「夢だったグラフィックデザイナーに
なれたんだし・・・私は頑張ろう。」

と、気を引き締め直していました。

 

チーム転属。想像を絶する激務の日々。

入社して2年ほど経った頃、
社長が私をTさんチームに
転属させたいと言い出しました。

 
社長「ちょっと、仕事を新規開拓したいんだよね。
Tくんの方で新しい仕事取ってこれないかな?」

Tさん「そうっすねー。まあやさん仕事早いし、
代理店の営業さんに気に入ってもらえれば
仕事くれるかもしれないっすねー。」

社長「よし、じゃあ代理店に
挨拶に連れて行ってくれ。」

 
と、最初はお試しという感じで
Tさんが取引している代理店からの
お仕事をもらったのですが、

営業さんに気に入られてしまったらしく(?)、
私は正式にTさんチームに転属となりました。

 
Tさんチームは
不動産広告専門だったのですが、
私がやることになったのは、
デザイナーズマンションの広告。

正直、社長の仕事は
堅いデザインの案件が多く、
どちらかというと男性の方が
向いてそうだと感じていたのですが、

デザイナーズマンションの広告は
オシャレで上品なデザインなので、
私にはそちらの方が合っていました。

 
営業さんたちは、
そろいもそろって口が悪く、
かなりスパルタで・・・

時には泣きべそかきながら
仕事したりもしていたのですが、

おかげで、仕事のスピードやスキルが
めきめきと上がっていきました。

(あ、みんな口は悪いけど、
根はいい人ですよ笑)

 
 
オシャレなデザインができるのも、
それが形になるのも嬉しかったし、
やりがいは本当に大きかった。

ただ、Tさんチームの仕事は
想像以上に激務で・・・

とにかく、徹夜と休日出勤が
ハンパなく多い。

 
一番ひどい時は、4日連続徹夜で・・・
その時は、始発でお風呂だけ入りに帰って、
またすぐに出社してました。

始発は4時半なので
電車はガラガラだったんですが、

座ったら絶対寝てしまって
終点まで行ってしまうと思ったので、
眠くて辛かったけど立って乗ってました。

 
友達としていた約束も、
休日出勤でキャンセルしてしまう
こともあったり、

休日出勤でなくても、
徹夜続きで金曜日にやっと帰れて、
目が覚めたら土曜日の夕方、
なんてこともあったりで、

休日すらも自分の時間を
満足に過ごせない。

 
 
夢だった仕事に就くことができて、
やりがいは大きいけど、
激務すぎて、休む時間がない。

そんな葛藤をずっと抱えながら
仕事をしていました。

 

大切な人の死。つのる将来への不安。

そんな、働き方への疑問を
持ち始めていたころ、

その疑問をより一層強める
出来事が起こりました。

 
外注先の印刷会社の営業さんで、
社長の長年の友達でもある
Kさんという方がいました。

いつも仕事であちこち走り回っていて、
印刷のことならなんでも相談に乗ってくれて、
みんなから頼りにされていたKさん。

人柄も本当に良くて、
うちの会社の人たちは
みんなKさんのことが大好きでした。

 
そんなKさんも、
もう60歳を過ぎてるし・・・
ということで引退することになりました。

(定年後もしばらく
再雇用で働いていたようです)

Kさんと仕事できなくなるのは
寂しかったですが、

「Kさん、働き詰めだったから、
これからは奥さんと2人の時間を
ゆっくり過ごしてほしいな」

という気持ちの方が大きかったです。

 
ところが、Kさんが引退して
1年くらい経ったある日、

社長が
「Kさんのお見舞いに行ってくる」
と言い出しました。

Kさんが病気で入院したらしいのです。

心配ではありましたが、
Kさんは活発な人だったし、
きっと病気になんか負けない
と信じていました。

 
でも、日を追うごとに、
社長の表情が暗くなっていくのを見て、
Kさんの容体が思わしくないことを
悟りました。

 
そしてとうとう・・・
Kさんは帰らぬ人となりました。

 
ずっと会社のために
身を粉にして働いてきて、
やっとこれから第2の人生を
送ろうとしていたKさん。

あんなに良い人が、
なぜこんなに早く
死ななければならないのか・・・

 
私は大きな悲しみと、
やり場のない怒りを感じました。

 
 
それと同時に、将来への不安も
大きく押し寄せてきました。

 
若くて元気な時に仕事に忙殺されて
自分の時間も持てず、

やっと自分の時間ができる頃には、
元気でいられる保証もない。

しかも、働いた時間に見合った給料ももらえず、
年金をもらえる保証もない。

 
 
「いくらやりがいのある仕事とはいえ、
今の働き方のままで
私は後悔しない人生を
送ることができるのか・・・?」

と、Kさんの死をきっかけに
自問するようになりました。

 

身体からのSOS。

入社して3年半ほどたったころ、
私は今の夫と結婚しました。

 
結婚してからも、
私は変わらず激務の日々で。

その頃の私は、身体のあちこちに
不調をきたしていました。

 
長時間のPC使用でドライアイになり、
コンタクトレンズで目に傷ができたり。
(傷ができるたびに、
眼科の治療用目薬で治してました)

原因不明の耳だれが出たり。
(定期的に耳鼻科に通って
クリーニングしてもらってました)

PCのショートカットキーの使いすぎで、
左の親指が腱鞘炎になったり。
(なるたびに、整形外科の
湿布薬を塗って治してました)

風邪を引いた後に咳喘息になったり。
(ただでさえ睡眠時間少ないのに、
咳で眠れませんでした)

 
中でも衝撃だった異変は、
唇のまわりのかぶれでした。

そのかぶれが出た頃、
私は新しく買ったグロスを付けていたので、
それが肌に合わなかったんだろうと思って、
薬をもらいに皮膚科へ行きました。

 
まあや「今朝から唇のまわりが痒くて・・・
たぶん化粧品が合わなかったんだと
思うんですけど。」

先生「ちょっと舌見せて。
あー、舌が真っ白。
ストレスで胃が荒れてるね。」

まあや「は?ストレス??
胃なんて一度も
痛くなったことないですよ?」

先生「痛くならないから、
唇のまわりにじんましんが出てんの!
身体がSOS出してんの!

まあや「ええー!?」

先生「あなた、寝てないでしょ。」

まあや「えっ、確かに仕事が激務で
睡眠時間少ないですけど・・・
なんでわかったんですか?」

先生「睡眠にはストレス解消効果があるからね。
これだけ胃が荒れてるってことは、
睡眠が足りてないってことだろうなと。」

まあや「睡眠にそんな効果があったなんて・・・
知らなかったです・・・」

先生「塗り薬と胃薬は出すけど、
あくまで対症療法だからね。
睡眠取ってストレス減らさないと
治らないからね。ちゃんと寝てね!」

まあや「ど、努力します・・・」

 
 
「好きな仕事だったら頑張れる」って、
頭で言い聞かせてたけど、
心と身体はボロボロだった。

 
当時の平日の睡眠時間は、
4時間以下だったと思う。

いくら休日に寝だめしても、
焼け石に水だった。

 
そんな状況で働き続けていた中、
今でも忘れられない事件が起こった。

 

仕事を続けることに限界を感じた、カッター事件。

その日は、一人で会社に残って、
徹夜で仕事をしていた。

ウトウトしながら、
お客さんに朝イチで提出する
デザイン案をプリントし終わり、

時計を見たら午前9時過ぎ。

もうすぐみんなが出勤してくる時間だった。

あとはプリントのまわりを
切り落とすだけだったので、
後輩が出勤してきたら
やってもらおうかなと思ったけど、

「まあ、2枚だけだし、自分でやるか。」

と思い直して、
定規とカッターを持ってきて
切り始めた。

ウトウトしながら、
勢い良くカッターを引いた瞬間。

 
グサッ!!

 
「え・・・?」

 
一瞬、何が起きたかわからなかった。

 
広がる赤い血。

 
その元を見ると、
左の親指がパックリ割れていた。

 
今まで何千回とカッターを使ってきたけど、
「カッターの進行方向に指を置いてはいけない」
ということは、常に意識していた。

でもその時は、
一睡もしていないフラフラな状態で、
そんな当たり前のことを考える
注意力さえ残っていなかった。

怪我したことよりも、
そっちの方がまずショックだった。

 
「そうだ、止血しなきゃ。」

 
状況が飲み込めたら、
急に痛みが強くなってきた。

ティッシュで親指を
ぐるぐる巻きにしていたところに、
後輩が出勤してきた。

 
後輩「ぎゃー!まあやさん!
どうしたんですか!?」

まあや「ちょっとカッターで
指をグサッとやっちゃって・・・。
病院行きたいんだけど、
これプリントし直して
まわり切って届けてもらえるかな?」

後輩「わかりました!
早く病院行ってくださいー!!!」

 
幸い、会社のすぐ近所に
大きな大学病院があったので、
後輩に後を託した私は急いでかけこんだ。

待ち時間が長くて
痛みに耐えられなくなってきたので、
怪我の状況を説明したら、
緊急性が高いと判断してもらえたようで、
順番を早めてもらえた。

さすが大学病院だけあって、
その場ですぐに麻酔して縫ってもらえた。

やっとホッとできた。

「仕事中の怪我なので、
労災下りると思いますよ。
会社に戻ったら聞いてみてくださいね。」

とお医者さんが言ってくれたおかげで、
労災を申請することもできた。
(紹介状ナシで8000円もかかったので
ありがたかった)

 
そんなことがあった日でも、
鎮痛剤を飲みながら、
いつも通り終電近くまで
残業をして帰った。

 
満員電車でつり革につかまりながら、
怪我した時のことを思い起こした。

今回怪我したのは、
寝ずに仕事をした状態で
注意力が欠けていたのが原因だった。

まだ指だったから、
縫ってもらうだけで済んだ。

でも、同じ状態の時に、
不注意で階段から落ちたり、
車にはねられたりでもしたら・・・?

 
そこまで考えて、
私はやっと目を背けていた
結論にたどり着いた。

 
 
「会社辞めよう。」

 
 
こうして私は、
4年8ヶ月勤めた
デザイン会社を辞めました。

 

自分に合った働き方で生きていこうと決めた。

この会社に入って
デザインの仕事ができたこと自体は、
本当に良かったと思っています。

自分がずっとやりたかった仕事ができたし、
スキルアップもできた。

 
でも、実際やってみてわかったのは、

「夢だけでは仕事は続けられない」

ということ。

 
デザインという仕事をする限り、
厳しい「締切」から
逃れることができません。

締切は絶対なので、
睡眠時間を削ってでも
間に合わせなくてはいけません。

でも、私には、
それに耐えきれる心と体が
足りなかった。

だから私は、
会社を辞めるという道を選びました。

 
 
夢を目指すことは
素晴らしいことだと思うし、
私も目指して良かったと
思っています。

 
でも、
やってみて無理だと思ったら、
いつでも辞めていいと思う。

 
それで、「根性がない」とか
「やる気がない」とか言ってくる人は、
「本気でチャレンジして挫折した」
という経験のない人なので、
無視すればいい。

 
経験のある人は
絶対バカにしないし、

私はむしろ、

辞める勇気を持てることはすごいこと

だと思っています。

 
 
その後、私は、
自分に合った働き方を模索しました。

「クラウドソーシング」や
「量産型のブログ」といった、
数々の失敗を乗り越え、
今の働き方にたどり着きました。

マーケティングやシステム化といった、
今までまったく知らなかった
知識を学ぶのもすごく楽しいし、

なんといっても、
「締切」というものがないので、
家事育児のスキマ時間に
作業できるというのが、
私にとって一番の魅力です。

徹夜をする必要もないし、
自宅のパソコンで作業できるので、
出社時間を気にする必要もありません。

今は普通に6〜7時間の
睡眠時間をとれているので、
すっかり健康な生活を送っています。

そして、ビジネスの収益も20万円を超え、
自分のビジネススキルに自信も生まれました。

現在はコミュニティを作り、
今まで培ってきた知識や経験を
メンバーさんにシェアしています。

 
いろいろ悩んで試行錯誤してきましたが、

「自分のペースで楽しみながら仕事をする」

ということが、
私の求めていた働き方だったんだなと
気づくことができました。

その働き方を実現できる
「インターネット」がある時代に
生きることができているのは、
すごくラッキーなことだと思います。

これからの時代はどんな業種でも
インターネットの活用が
必要不可欠になってくると思うので、

楽しみながらスキルを
磨いていきたいなと思います。

最後に

私は、マーケティング知識を始め、
あらゆることから新しい視点を学び、
人生力(=人生のステージを上げる力)を高めることによって、
自然と自分で稼ぐ力を身につけてきました。

そんな経緯もあって、
多くのビジネス系発信者のように
ただ稼ぐ方法を教えるのではなく、

ビジネスを学ぶことをきっかけに、
総合的に人生力を高めていく方法
について発信しています。

具体的な方法については、
ブログだけでは語りきれないので、
公式LINEでお伝えしています。

ビジネス知識以外にも、

・日常生活を妨げている体調不良を克服して
人生のパフォーマンスを高める健康法
・思考力を鍛える習慣の身につけ方
・わかりやすく情報を伝えるデザインのコツ
・発達障害の子育てを通して学んだ処世術
etc・・・

こういった、人生力を高める方法についても
お伝えしていく予定です。

個人的なご相談もお受けしてますので、
本気で人生を変えたい方はぜひ登録しておいてください。

私も全力であなたの人生に彩りを添える
お手伝いをしていきます(^^)

▼まあや公式LINEのご登録はこちらから
まあやの公式LINEに登録して人生を変える


まあやのコミュニティ「achieve」メンバー募集中!


私は、情報発信力を磨いて自分の力で収入源を作り、
健康で不安のない理想の人生を目指す仲間を募集しています。

あなたも「頑張らなくていい人生」にするために、
私たちと一緒に頑張ってみませんか?

無料コミュニティ「achieve」では、コラムとワークを中心に、
ブログでは語りきれない濃い情報をシェアしています。

興味のある方は参加してみてください。

→コミュニティ参加はこちら






COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です