プロフィール

ブログの理念と著者プロフィール

ブラック会社を辞めて生きる意味を見つけた元デザイナーの物語

はじめまして、まあやです。

 
私は、Webデザイナーの夫と小学生の娘と一緒に都内で暮らしています。

主婦業の傍らでマーケティングを学び、現在はインターネットを活用したビジネスに取り組んでいます。

 
私は子供の頃から「創ること」が大好きで、前職はグラフィックデザイナーをやっていました。
(夫と知り合ったきっかけも、SNSのクリエーターコミュニティだったりします)

デザイナー時代は、チラシ、ポスター、パンフレットなどの印刷物全般の制作に携わっていました。

デザイナー時代で一番嬉しかったことは、自分のデザインしたポスターが駅に貼ってあるのを見たときですね。
(コソッと写メりました…笑)

 
出産後は、無理なく家事育児と両立できる働き方をしたいと思い、4つの会社を経営する実業家からマーケティングを学びました。

現在はその知識を生かして、自分のペースでストレスなく仕事をすることができています。

 
ここで、私のひとり時間の様子を紹介します。

基本的に家が大好きなので、自宅のパソコンで仕事をする。

商品の販売の仕組みやアイデアを考えるのが楽しい。

健康維持のために、YouTubeでヨガをするのが日課。

カメラを持ってフラっと写真を撮りに出かけたり、美味しいスイーツを食べ歩いたりすることも。

時々、ビジネス仲間とお茶したり懇親会に参加したりして、ビジネスについて熱く語り合う。

本を読んだり動画を見たりして知識をインプットするのが楽しい。

学べば学ぶほど自分が成長できているのを実感できるので、毎日の生活に充実感を感じている。

などなど…

これが、マーケティングを学んでからの私のライフスタイルになりました。

深夜や休日まで働き詰めだったブラック会社員時代からは考えられないほど、ゆとりある働き方ができていると実感しています。

 
私はもともと、マーケティングに関する知識はゼロでした。

ブログなんて、

「こんなの友達しか読まないんじゃないの?」

って感じの日記ブログしか書いたことありませんでした。
(しかも写真ばっかりで字が少ない…)

 
でも、基礎から正しい知識を学んだおかげで、こんな私でもインターネットで商品を販売することができるようになりました。

今でこそ、自分のやりたいことを自由にできるようになりましが、昔の私は過干渉な毒親に行動を制限されて生きてきました。

 
やりたいと思ったことも、親の価値観に合わない物はすべてダメと言われ・・・

無意識のうちに、

「親にダメと言われないかどうか」

が、行動選択の判断基準になってしまっていました。。。

 
「ここにいたらヤバい!」

と、本能的に危険を感じたことが、上京を決意した一番のきっかけでもあります。

 
 
このブログのコンセプトは、

「自分の生きる意味を見つけ出すきっかけをつくること」

です。

読んでくださった方が、「生まれてきて良かった」と心から思える人生になることを目指して情報発信しています。

 
 
日本の健康寿命は、世界第2位。

世界屈指の長寿王国です。

 
・・・にもかかわらず、幸福度ランキングは62位という、残念すぎる結果。

 
「え・・・?幸せじゃないのに長生き??苦痛でしかないじゃん!!」

と、その結果を見た私は思わずツッコんでしまいました。

 
たしかに、寿命の短かった昔は、「長生きは良いこと」だったのかもしれません。

でも、長生きが当たり前となった今では、人生の「長さ」よりも「質」が重要と感じます。

 
毒親にコントロールされて自由のなかった頃の私は、

「私って何のために生まれてきたんだろう?」

「私が生きる意味ってなんだろう?」

と言う考えがたびたび頭をよぎっていました。

 
そんな、昔の私のように思い悩んでいる方の人生が、幸せで意味のある人生に変わってくれたらいいな・・・

という思いで、情報発信をしています。

 
幸福度を上げるためには、

金銭的自由
時間的自由
精神的自由
身体的自由

の、4つの自由度を上げる必要があります。

人生において、この4つの自由は密接に関わりあっています。

 
実家にいた頃の私は、金銭的にも身体的にも時間的にも余裕がありましたが、

それと引き換えに、毒親ストレスで精神的自由を大きく失っていました。

 
また、ブラック会社に勤めていた頃は、生活に困らない程度の収入はありましたが、

休む時間もなく、精神的にも身体的にもボロボロでした。

 
「生きていくためにお金は必要だけど、それを稼ぐためには時間や健康を犠牲にしないといけない・・・」

 
これが、人生の幸福度を下げてしまう最大の原因だと、私は思います。

 
自分が働かなくても自動で収入が生まれるシステムを作る方法を学び、自分の力でいつでもお金を稼げるようになれば、時間的にも精神的にも余裕が生まれます。

時間と心に余裕が出来れば、体調を崩すこともなくなります。

つまり、自動で収入を生む仕組みを作ることで、時間・精神・身体の自由度を失うことなく金銭的自由度を上げることができるわけです。

 
 
このブログを読んでいただくにあたり、私の過去の人生を共有しておくと、よりブログの内容を理解しやすくなると思います。

そこで、私のこれまでの人生と、現在の私が目指す人生のあり方について共有させてください。

 

《小学生(低学年)時代》太っていて男子にいじめられる。

私は物心ついた頃から太っていました。

痩せた今は、実家での食事量が異常だったのが原因だったとわかったのですが、当時は「太りやすい体質」と親から洗脳されていたので気づきませんでした。

 
自分が太っているということが辛くて辛くて、

鏡で自分の姿を見るのも嫌だったし、

何よりも、写真に撮られるのが大嫌いでした。

何を好き好んで、自分の太った姿を記録に残さなきゃいけないのか・・・!

 
それなのに、母は写真を撮りたがるんです。

まあ、子供の写真を撮りたいという気持ちは、私も1児の母なのでわかります。

問題は、「笑って!」「にっこりして!」と要求してくることです。

 
「ただでさえ写真撮られるのが苦痛なのに、笑えるわけないじゃん!!」

 
と思っていたので、私はいつもブスッとした顔で写真に写っていました。

 
そんな私の苦しみも知らず、

「女の子なのに愛想が悪いわね」

「もうちょっと明るくしたら?」

と母からディスられていました。

 
 
太っていたことで、なんと言っても辛かったのは、男子にいじめられたこと。

今思い返しても、小学校低学年で太ってる子って、クラスに1人いるかいないかでした。

しかも、女子となると、さらに少数派。

 
なので、とにかく・・・目立つんです!!!

 
いじめっ子からしたら、それはもう格好の標的です。

いつも、「デブ!」「ブタ!」と言われて、学校に行くのが憂鬱でした。。。

 
 
特に辛いのが、体育の授業です。

 
まず服装。

体操服のボトムが、昭和の悪しき伝統である「ブルマ」だったので、ボンレスハムのような太ももが丸出しだったんですよね。。。

 
そして、私は壊滅的な運動音痴だったんですが、同じ運動音痴でも、痩せてる子よりも太ってる子の方が圧倒的にいじめの標的になるんです。

「体が重いからかけっこでビリになるんだろ〜!」

「体が重くて持ち上がらないから逆上がりできないんだろ〜!」

と、太ってるせいで運動ができないんだとバカにされていました。

 
 
そんな毎日を過ごしていた私は、いつも自信がなくて、自分のことが大嫌いでした。

にっこり笑って堂々と写真に写ったり、好きな服を着てお洒落を楽しんでいる同級生たちが、うらやましくて仕方がありませんでした。。。

 

《小学生(高学年)〜中学生》母の家庭教師がトラウマで勉強嫌いに。

さすがに小学校高学年にもなると、男子も精神的に成長するので、太っていることでいじめられることはなくなりました。

でも、ここからまた別のコンプレックスに苦しめられることになります。

 
 
私の弟は生まれつきの天才(ギフテッド)でした。

2歳で小学校低学年の計算をできるようになり、

小学校低学年の頃には、高校数学の参考書を自分で読んで解いていました。

 
私は、物心ついた頃から、何の努力もしなくても勉強ができる弟がそばにいたので、

「自分は世界一頭が悪い」

という感覚を無意識に感じていました。

 
それでも、小学校4年生くらいまでは、普通に努力していれば学校の勉強にもついていけていました。

でも、5年生頃から急に、算数と理科で理解できないところが増えてきました。

 
私は自分のことを世界一頭が悪いと思っていたので、

「まあ、私バカだし・・・無理もないわよね。」

と思って、そんなに気に留めてはいませんでした。

 
でも、私のテストの結果を見た母の反応は違いました。

 
「え!この問題がわからないの!? 大変!お母さんが教えてあげるわよ!」

と、頼んでもないのに無理やり家庭教師を始めたんです。

 
実は母も弟と同じく「天才」だったので、

「こんな簡単な問題も解けないなんて一大事だわ!なんとしてでも解けるようにしてあげないと!」

と思ったのでしょう。

 
そうして、地獄のレッスンが始まりました。

 
でも、何度教えられても、私はどうしても理解できませんでした。

挙げ句の果てに、私が問題文を読んでいる途中で、横から弟に答えを言われる始末・・・

 
「これだけ努力してもわからないんだから、もうわからないままでいいよ!」

「私はテストで良い点を取ることなんて望んでない!」

と、心の中で叫んでいたんですが、母は解けないことを決して許してはくれませんでした。

 
私はもう、辛くて辛くてたまらなかったので、嫌そうな顔をして勉強していたら、

「こんなにお母さんが頑張って教えてあげてるのに、その嫌そうな態度は何よ!」

と、母は烈火のごとく怒り狂っていました。

 
「私が教えてくれって頼んだわけじゃないのに・・・」

と理不尽に思いながらも、

「ごめんなさい、ごめんなさい」

と泣いて謝り、辛い気持ちを押し殺して勉強する日々でした。

 
毎日、母と勉強するのが本当に憂鬱で恐怖で・・・

学校から帰る足取りも、鉛のように重かったです。

 
 
あまりに私が理解できないので、母は「解き方のパターンを丸暗記する」という方法を強要してきました。

この方法なら、本質を理解していなくても、暗記したパターンの問題だけは解くことができます。

実際、私はそれでテストの点数を取れるようになりました。

 
母は喜びました。

 
でも、私にはそれが偽りの点数にしか見えず、何の感情も湧いてきませんでした。

強いて言えば、

「間違えなければお母さんに教えられずに済む」

という安心感くらいでした。

 
 
この時の母の家庭教師がトラウマとなり、私はすっかり勉強嫌いになってしまいました。

 

《高校生〜大学生》親の敷いたレールを歩まされる。

高校の志望校を決める時期になり、私はデザイン科を志望しました。

勉強は嫌いだったけど、「創ること」が好きだった私にとって、唯一興味の湧いた学科だったからです。

 
でも、私の希望が叶えられることはありませんでした。

「デザイン科なんか潰しがきかんからダメだ!普通科にしなさい!」

と、親から一蹴されてしまったのです。

 
代わりに親が提案(という名の強要)をしてきたのは、市内の公立高校で2番目の偏差値の高校。

理由は、

「私立はヤンキーの行くところだから公立がいい」

「遠いと通うのがしんどいから、家から一番近いところがいい」

という、完全に親の価値観にのみ従った理由。

そこには、「子供の能力や性質に合っているかどうか?」という配慮はまったくありませんでした。

 
学費を出すのは親なので、親に認めてもらわないと、受験するチャンスすらつかむことができません。

私は、

「お金がないと、自分で選択することもできない・・・子供ってなんて無力なんだろう・・・」

と、絶望的な気持ちになりました。

 
「私は何のために生きてるんだろう・・・」

と考えることが多くなったのは、この頃からです。

 
 
親の決めた高校に入った私は、想像を絶する勉強量に圧倒されました。

全教科予習は必須。
予習とは別に宿題もあり。
授業の初めに小テスト。できなければ追試。
夏休みの半分は補習。(宿題は問題集6冊+α)

毎日夜遅くまで勉強していたので、机に突っ伏して寝てしまうこともしょっちゅうでした。

ハッと目が覚めて時計を見ると、夜中の3時だったり4時だったり・・・

もちろん朝は目覚ましが鳴ってもまったく起きれず、毎日母に叩き起こされていました。

 
「もうこれ以上勉強したくない!」

と思った私は、「大学に行きたくない」と親に言いました。

 
ところが・・・

「高卒の給料なんか安くて生きていけないぞ!大学に行きなさい!」

「大学に行かないでどうやってお金稼ぐの? あなたにそんな能力ないでしょ?」

と、親は聞く耳持たず・・・

 
さらに、

「私立は高いから国立にした方がいいわよ!」

と、またもや親の価値観で進学先を強要してくる始末。。。

 
「私の人生なのに、私には何の決定権もない・・・私は何のために生きてるんだろう・・・」

 
幾度となく繰り返してきたその疑問に答えを出せないまま、私は親の決めた大学へ進学することになりました。

 

《社会人(上京前)》自分のやりたい仕事ができず転職を繰り返す。

大学を卒業した私は、いきなり無職で社会人をスタートさせることになってしまいました。

私はデザイン科に行きたいと思っていたのに、自分の意思とは無関係の大学に行かされたわけです。

当然と言えば当然ですが、大学に来る求人に興味が湧くわけもありません。

 
親は大学に行きさえすれば就職できて安泰と思っていたようですが、目的もなく大学に行って就職できるほど、人生は甘くありません。

 
どうしてもデザインの仕事にしか興味の湧かなかった私は、ハローワークで求人を探してみました。

しかし、田舎にはデザイン関係の求人など皆無に近く、やっと見つけたと思っても、

「デザイン・美術系の学校卒業者、または、経験3年以上の者に限る」

という応募条件が必ず記されていました。

 
経験を積むにはデザイン会社に入らないといけない。

でも、デザイン会社に入るにはデザイン系の学校を卒業していなければいけない。

 
・・・残酷な現実を突き付けられました。

 
「デザイン科に行かせてもらえていれば応募できたのに・・・」

 
私は、求人票を見るたびにため息をついていました。

 
 
そんな毎日を送っていたところ、上京した友人からデザイン会社で働いているという話を聞きました。

どうやってデザイン会社に入ったの?と聞いたら、デザインスクールに通ってPhotoshopやIllustratorの勉強をしたと教えてもらいました。

でも、田舎にはそんなスクールがなかったので、私は本を買ってきて独学でPhotoshopとIllustratorの勉強をしました。

 
そのスキルのおかげで、とりあえず職につくことはできました。

居酒屋のメニューを作る仕事
印刷屋でアナログデータをデジタルデータに作り直す仕事
劇団の販促グッズを作る仕事
ホテルでブライダルのポスターやレストランのメニューを作る仕事

・・・と、数々の転職を繰り返しましたが、いずれもデザイン会社ではなかったので、どんなに働いてもデザインスキルは一向に独学の域を出ませんでした。

 
そんな生活を送っているうちに、気がついたら30歳になってしまっていました。

 
「一度きりの人生なのに、全然自分の思い通りに生きれてない・・・」

「ここにいたら、この先も自分の人生はダメなままだ・・・」

 
もう、我慢の限界でした。

 
 
私はライブやイベントでよく東京に遠征していたので、東京に友人が何人かいました。

いつものようにイベントで東京に遠征していた時、人生の転機が訪れました。

 
イベントが終わって、みんなでご飯を食べに行った時のこと。

「私、上京したいんだよね・・・」

と、日頃の切実な思いを打ち明けたところ、

「協力するから上京しなよ!」

「就職活動するならウチに泊まって!」

「東京のことでわからないことがあったらなんでも聞いて!」

と、みんなめちゃくちゃ応援してくれたんです。

 
「30歳で上京なんて無理かな・・・」と思っていた私でしたが、友人たちの応援のおかげで、「やってみよう!」という気持ちが生まれました。

 
そんな友人たちの後押しもあって、親の説得にも成功。

地方からの応募でも受け付けてくれる会社をネットで探し、片っ端から応募しました。

そして、いくつか面接を受けたところ、そのうちの1社から採用のお返事をいただくことができました。

 
「やったー!ついにデザイン会社で働ける!実家からも出られる!」

 
初めて、自分のやりたい道へ進むことができた瞬間でした。

 

《社会人(上京後)》念願のデザイン会社への就職と、立ちふさがる現実。

「一人暮らししてみて初めて親のありがたみがわかる」

とはよく言われますが、私の場合はまったくの逆でした。

 
「親の夫婦喧嘩を聞かなくて済む!」

「母のグチの聞き役をやらされなくて済む!」

「行動を監視されなくて済む!」

と、親の「いない」ありがたみを、ひしひしと感じました。

家がこんなにくつろげる場所になるなんて、夢のようでした。

 
 
東京に引っ越してきて3日ほど経って、初出社の日が来ました。

社員数10人以下のこじんまりした会社で、同僚はみんな気さくな人たちばかりだったので、すぐに打ち解けることができました。

隣の席の男の子も田舎から上京してきた子だったので、田舎あるある話で盛り上がったりもしました笑

 
やはり、デザイン系の学校出身の人たちがほとんどで、独学の私はちょっと引け目を感じてしまいましたが、

今まではわからないことがあっても質問できる人がいなかったので、質問できる環境で働けるってなんてありがたいんだろう・・・としみじみ思いました。

 
仕事内容も今までと違って専門的で、知らないこともたくさんあり、毎日が学びでした。

 
ただひとつ難点があって・・・とにかく残業時間がすごいんです!(しかも全部サービス)

 
基本、23時以降まで残業するのが当たり前。終電で帰ることもしょっちゅうでした。

(もはや定時が23時・・・というか、実際の定時が何時だったのか知りません・・・)

 
終電で帰る時は、0時半ごろに会社を出て、家に着くのは1時20分ごろ。そこからお風呂を沸かして入るので、寝る頃には2時半を過ぎていました。

何時に帰っても出社時間は9時半なので、7時半には起きないといけません。

そうすると、睡眠時間は約5時間。

「自分の時間どころか、睡眠時間すらまともに取れない・・・」

何をしに家に帰って来ているのか、段々と疑問に思うようになりました。

 
さらに、デザイン業界は締め切りが絶対なので、締め切り前は徹夜や休日出勤もザラでした。

1日くらいならなんとか頑張って徹夜できても、何日も続くと、作業しながら意識が飛ぶことも。。。

「寝ちゃダメだ!」

「締め切りまであと1日しかない!」

と思ってはいるものの、体がついていかないんです。

(ちなみに、最高で4日連続徹夜しました・・・)

 
そして、広告代理店もブラックなので、時間構わず電話がかかってくるんですよね。

今日は23時に帰れそうだな、と思っていても、22時ごろになって、

「今メールで送った原稿、すぐデザイン作って!よろしく!」

って電話がかかってきたりするんです。泣

 
徹夜で仕事してる時、夜中の2時ごろに打ち合わせに呼び出されたこともありました。

 
ただ、代理店の営業さんたちって、仕事のクオリティには厳しくて、口も悪かったんですが、根はいい人たちだったんですよね。

 
打ち合わせしていた時も、

営業さん「ハンバーガーはやっぱクアアイナだよなー。クアアイナ美味いよな。」

私「クアアイナって何ですか?」(←田舎にクアアイナはない)

営業さん「クアアイナも食ったことねえのかよ!頼んでやるから食え!」

と言ってその場で配達してもらってごちそうしてくれたり、

 
徹夜続きの仕事がやっと完了した時も、

私「終電間に合わなかったので始発で帰ります〜涙」

営業さん「はあ!? タクシー代出してやるから家に帰って寝ろ!」

と言って、会社の経費でタクシー代を出してくれたり。

 
「こんな、マンガのキャラみたいなツンデレな人、実際にいるんだー」と思って、密かに笑っていました笑

 
そんな感じで、仕事の内容には自分でもやりがいを感じていたし、社長以外はみんないい人だったので、人間関係の問題も少なかったのですが、

なにしろ労働時間がすごすぎて、まともに睡眠時間も取れず・・・

だんだん体のあちこちに不調が出てきてしまいました。

 
ドライアイになって、コンタクトレンズで目に傷ができ・・・

ショートカットキーの使いすぎで親指が腱鞘炎になり・・・

耳の穴に謎のウミがたまり・・・

ストレスで口の周りとまぶたに蕁麻疹ができ・・・

肌がガサガサになり・・・

咳喘息で咳が何日も続き・・・

 
眼科、整形外科、耳鼻咽喉科、皮膚科をローテーションで通院する日々。

「医療費を払うためにお金を稼いでるわけじゃないのに・・・」

 
在職中に結婚して、その後も1年くらい働いたんですが、ある時、

「もう、無理・・・」

と、心の糸がプツッと切れて、とうとう会社を退職することになりました。

 
 
サービス残業には納得いかなかったものの、普通に生活するのに困らない程度の給料はもらうことができていたので、金銭的には困っていませんでした。

でも、お金を稼ごうとすると、時間的自由、精神的自由、身体的自由を失ってしまう・・・

 
それでも頑張って働いている人が世の中にたくさんいるのはわかっているけど、私には無理でした。。。

 
※ブラック会社の時のストーリーはここでは書ききれないので、別記事で詳しくお話ししています。
→夢だったデザインの仕事を辞めた理由。〜私のブラック企業退職経験談〜

 

《出産後》毒親と絶縁。

退職した次の年に娘を出産し、私はしばらく育児に専念していました。

私はかなり早い段階で娘の発達障害に気づいたので、本を何十冊も読んで勉強したり、療育園に通ったりしていました。

しかし、娘が発達障害であることどころか、発達障害という概念すらも全否定する親と、日に日に衝突することが増えました。

 
療育園に通ってると話した時も、

「そんなもの通う必要あるの?」

「発達障害なんて昔はなかったわよ。儲けるためのサギ商法じゃないの?」

と言われ・・・

 
本に書いてあったことを試したら効果があった、と話した時も、

「たまたま成長の時期が来ただけだろ」

「本の情報なんていちいち気にしちゃダメよ」

と否定するばかり・・・

 
そうやって否定され続けながらも、我慢していたんですが・・・

ある時、我慢の限界がきました。

 
 
娘にはうつっぽいところがあり、ある方法でそれを改善することができたんですが、それを親に話したところ・・・

「そんな方法は、科学的根拠がない!インチキだからやめろ!」

「改善したと思うのはプラシボ効果よ!そもそも娘ちゃんはどこも悪くないじゃないの!」

と、壮絶な否定攻撃が飛んできたんです。

 
「娘の人生を、親の言うなりになって台無しにされるわけにはいかない!」

と危機感を感じた私は、親ときっぱり絶縁することにしたのでした。

(4年たった現在も絶縁中です)

 

《現在》人生を変えたマーケティング。

娘も幼稚園に入って自分の時間も出来てきた頃、そろそろ仕事を始めようかなと考え始めました。

でも、デザイン会社はブラックだし・・・(そもそもパートの求人なんてほぼないし・・・)

かといって、コンビニ店員とか工場での単純作業とか、好きでもない仕事をするのはストレスだし・・・

どういう働き方をすればストレスなく働けるだろう・・・

 
と、そんなことを考えていた時に出会ったのが、マーケティングでした。

 
きっかけは、お気に入りのブロガーさんがオススメしていた、起業スクールの動画。

何気なくその動画を見た私は、今までの常識が一気に破壊されました。

「自分が働かなくても自動で収入が入る!?

そんな自動販売機みたいなシステムが、個人で作れるもんなの!?」

と、最初は半信半疑な気持ちでした。

 
でも、動画を見終わった時には、システムを作る方法も理解できたし、パソコンさえあればできるので、家事育児の合間に無理なく作業ができる。

そして、システムが完成すれば、自分が休んでいても収入が入る。

「これって、まさに私が求めてた働き方じゃない!?」

 
幸福度の高い人生を送るために私がやるべきことは、

会社に依存するんじゃなくて、自分の力でお金を稼ぐ力を身につけることだって気づいたんです。

 
こうして私は、起業スクールでマーケティングの知識を学び、インターネットを活用したビジネスに取り組み始めました。

 
4つのWeb系の会社を経営する実業家であるスクールの先生は、IQ140以上で高学歴。

「先生は能力高いから成功できたんじゃないの?」

と、最初は疑っていましたが、先生が言うには、

「正しい知識とやり方を学んで行動さえすれば誰にでもできる」

とのこと。

 
実際、成功されているスクールの先輩たちも普通の人たちが多かったので、

「私でも、やればできるかも!?」

と、希望が湧いてきました。

 
私はスクールで学んだ通りにシステムを作って、インターネットで商品を販売してみました。

すると、ある日、朝起きてチェックしてみたら・・・

商品が売れていたんです!!!

 
「ほんとに寝てる間に自動で収益が発生したー!!!」

 
と、初めて自分の力でお金を稼ぐ体験をし、驚きと感動で、思わずガッツポーズをしてしまいました。笑

 
夫に報告したら、

「え!? ほんとに売れたの!?」

と、めちゃくちゃ驚かれました。

(1ミリも期待していなかったらしい・・・笑)

 
その後もちょこちょこ商品は売れ続け、トータルで約15万円の売り上げを上げることができました。

 
「これって、システムの数を増やせば増やすほど、同時進行でどんどん収入が増えるんじゃない!?」

 
自分が働かないと収入が発生しなかった会社員時代には考えられなかった発想が湧いてきました。

しかも、学べば学ぶほどビジネスのアイデアも湧いてくるので、知識がちゃんと活かされているのを実感できます。

学生時代、あんなに勉強嫌いだった私ですが、今は学ぶことが楽しくて仕方がありません。

「自分が心から学びたいと思ったことを学ぶのって、こんなに楽しいことだったんだ・・・!」

 
 
今まで、いっぱいいっぱい遠回りしてきましたが、私はやっと生きることの意味を見つけることができました。

これからもどんどん学んで、たくさんの人に喜んでもらえるビジネスを作り出していきたいです。

 

改めて、ブログのコンセプトのおさらい。

私のブログでは、

「自分の生きる意味を見つけ出すきっかけをつくること」

というコンセプトを元に、

読んでくださった方が、「生まれてきて良かった」と心から思える人生になることを目指して情報発信していきます。

過去の私のように、「生きていくためにお金は必要だけど、それを稼ぐためには時間や健康を犠牲にしないといけない・・・」と苦しみながら生きる人が、少しでも減ってくれることを目指しています。

 
私は友人にも頭が良いと誤解されてきましたが、これまでお話ししてきた通り、あまりに内容が理解できないので丸暗記で受験を乗り切ったという、偽りの学力です。(ほとんど力技・・・汗)

実は文章ももともとまったく書けなくて、夏休みの読書感想文は8月31日まで原稿用紙が真っ白のままで、泣きながら書いていたほどです。

 
でも、今わかるのは、

自分が心から学びたいと思って学べば理解力はアップするし、

正しい知識とやり方を学んで行動すれば、ちゃんと結果が出るということ。

 
私は、「知らない」ばかりに、今まで結果が出なかった。

でも、ただ「知る」だけで、人生は大きく変えられることがわかりました。

 
 
国は国民に力を持たれては困るので、自分の力でお金を稼ぐ方法は意図的に学校で教えないようにしています。

学校は、サラリーマン養成所です。

 
日本人は世界的に見ても、努力家の人が多いです。

それなのに、自分の力でお金を稼ぐことができないのは、ただその方法を知らないだけなのです。

正しい知識とやり方を学んで行動しさえすれば、自動で収入を得られるようになって、結果的に自分の時間も健康も手に入るんです。

 
 
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